アトリエコルト

てつがく対話アーカイブ

コルトなてつがく〜大人編③

2020/03/10

→多数決により、「なぜウワサは広がるのか?」に決定

対話

・ウワサになることを止めるのがつらい。「

・ウワサが広がるのは、「自分は知っている」というアピールだと思う。

・ウワサは根拠がなくても共感があると広がるのだろうか?

・ウワサとニュースは違うのか?どちらも根拠があるようでないようで。どこで分けるのかな?

・この人が言っていることは信ぴょう性が高い、とか自分の判断で分けている

・ウワサの中にも事実が入っていると思う。自分の中ではウワサとニュースの境界線はない

・ウワサは下世話な話。ニュースは事実、事件、事故に重きを置いているんじゃないかな

・新しい情報はニュースとして認識されるが、それが伝わるときには尾ひれがついてウワサになっていくんじゃないかな。情報を伝えるっていうのとウワサってどう違うんだろう?

・情報を伝えるときに自分の感想はいらない。ウワサを伝えるときには自分の感想を盛るんじゃないかな

・事実でも聞いた人の解釈が入ってしまうし、ニュースもたくさんある事実の中から選んで伝えているわけだから、そういう意味ではウワサもニュースも似ている

・ニュースは自分の生活とは切り離してあるもので、ウワサは自分の生活の中にあって、ややもすると自分の都合のいいように他人に伝えてしまう。ウワサは自分で操作できる。ニュースの中には自分の感情は若干少なめな感じがする。ウワサは自分の感情が盛り込めるので人々が興味を抱きやすい。

・なぜ正確な情報はウワサに上らないのに、すごいスピードで広がるのは人々の興味や関心を引くものなのはどうしてだろう?必要なのは正確な情報なはずなのに・・・

・不安や恐怖は人が行動しやすいものなんじゃないかな。例えば今回のトイレットペーパー騒動とか。デマだとわかっていても買い占めに並んじゃう心理とか。

・恐怖は娯楽なのだろうか?恐怖心をあおるようなことこそ広がるのが早いように感じる。恐怖を克服するための手の洗い方は広がらないのに、トイレットペーパーなくなるよ、みたいな恐怖をあおるようなことは一気に広がる

・多分それは「この情報を自分が発信している」っていう優越感を発信している人が持っているからかな

・テレビやメディアも他者が持っていない情報を自社が持っているという優越感でそういう恐怖をあおるような情報を流すことがあると思う。

・お祭りも今の話に似ている気がする。イベント、お祭り、みたいな。トイレットペーパーの列に並ぶ、みたいな。

・余裕のある人がトイレットぺーパーの列に並ぶっていうのは、いったいなにが必要で並んでいるのだろう?本当は足りないのは何なのだろう?何を満たしたいのだろう?

・よく考えれば、トイレットペーパーなんてなくても生活できる。Tシャツ切って使って、ごみ箱に捨てれば大丈夫なのに、なぜそこまでして列に並ぶのか?やはりお祭り心理なのか?

・そこまで考える人は少なくて、やはり単純に恐怖心から並ぶのだと思う。政府を信頼してないから、もしもなくなったらどうしよう?ゴミだって回収してくれなくなったらどうしよう?という恐怖心がある。だから備蓄して安心したいと思う。

・なぜメディアはそういう、Tシャツ切ってごみ箱に捨てればいいみたいな本当に有用な情報を流さないのだろう?

・それでもやはりもし〇〇だったらどうしよう?っていう恐怖心が上乗せ上乗せになってしまって、今の快適な生活を続けるために人より先に蓄えて恐怖心を払拭しようとするんじゃないかな

・不安神経症みたいなのが当たり前になってきているのかな?

・自分の感覚だけで、大丈夫って思っても、そうはいかない場面もあって、そういうのを経験すると、やっぱり不安に備えてしまう気持ちはわかる。足元がしっかりしてない中で不安っていうのは今とても大きいと思う。ただ、それに振り回されると逆に自分を苦しめることもあるような気がする。

・便利になってより一層不安が増えているような気がする。不安や管理というものにどれくらいエネルギーを割いて生きていけばいいのかなと考える。代替案みたいなものを自分で考える練習することができれば、備蓄をするより安心な気がする。経済も不安を元に回っているものが多い気がする。

・買いだめをする、とか洗剤の種類を少なくして管理を減らす、とかなにが自分にとっての快適か安心かはその人が生きてきた背景が大きく影響しているんじゃないかな。

・今はいろんな情報があふれていて、ウワサも併せて自分の選択を選ぶ。ウワサと自分の考えを合わせて選択をする、っていうことを考えるとウワサも悪くないなと思う。

・ウワサは潤滑油なのではないか

・ウワサの中で自分が何を選んで、相手に何を伝えるかが大事なのでは?ウワサ自体が悪いわけではなくて、ウワサの中で何を選ぶかが大事。自分だけの楽しみだけなら自己満足なのかもしれないけど、相手にとって何を伝えてあげたらその人が楽になったりその人のためになるのかなって考えながら伝えるならウワサも悪くないのでは?

・ウワサとの関係の持ち方が大事なのでは

・いいウワサを楽しんで広げるっていうことはあるかな?悪意を持ったウワサは楽しんで広げてるイメージだけど、何が違うんだろう?

・いいウワサというのはない。いいウワサは情報であってウワサではない。

・ウワサにはなにかしらの悪意や邪念がはいりこんでいると思う。

・根拠のない悪いウワサを広めることは巡りめぐって自分を苦しめることになるような気がするけど、誰が幸せになるのだろう?

・そういうことをすることで、見ちゃいけないものを垣間見る快感のようなものが得られるらしい。本当は見なきゃいいものを見てしまう心理にはそういう快感が伴うかららしい。

・ということはある意味恐怖や不安は生きる上で必要なのだろうか?安心だけでは生きられないのかな?

・身の安全が高い社会に住んでいるから、恐怖心を刺激する中に身を置きたい心理が働くのかなと思う。

・不安や恐怖は未知なるもので、それがないと探求心が生まれないからそれはなくてはならないものなのかもしれない。安心だけでは生活が成り立たないのかもしれない。自分を向上させるにも不安や恐怖が引き金になることもあるかもしれない。ウワサの中にも、自分が優位に立っている蜜の味のような感覚があるのではないかな。それらに振り回されながらもその中に自分の身を置く快感もあるのではないかな。

・福島の風評被害について。ウワサであろうとも、やはり害を及ぼす可能性があるものは特にこどもには少しでも与えたくないと思っている。ウワサであってもそれは私の信念になっていて変えたくない気持ちがある。

・自分は福島をバックアップする気持ちが強いから、情報を得ながらも自分は福島産のものを積極的に摂りたい。

・風評被害とは秀逸なネーミングで、恐怖心を「風評」という言葉で封じ込める威力のある言葉だと思う。ウワサと正確な情報の線引きはとても難しいなと思う。ウワサは広がるのに、正確な情報を開示する努力をする前に、「風評被害」という言葉でお茶を濁していて今でもどう考えたらいいか迷う。

・何事も自分にとっての都合のいい解釈が自分にとっての本当になっていくのではないかな。そういう意味では、情報もウワサも自分のいいようにしかとれないのかな。

・家族の意見は、自分にとってプラスであろうとマイナスであろうと聞いて、自分の家の

意見として話し合ってまとまっていくのが我が家のやり方だけど他のおうちはどうだろう?

・自分のうちは話し合うということはないな。それぞれの考え方でやっている。

感想

・ウワサの周辺の恐怖心とか、正確な情報はあるのかとか、なぜわざと恐怖心をあおりたくなるのかとか、備蓄に関する安心感とかいろんな話に広がって面白かった。何につけても正確な情報かどうかは分からなくて、何を信じるかになってくるのかな。立場が違う人と話して一緒に考えて情報も得て学んでいくということを続けるのが大事だなとおもった。ウワサとうまく付き合うには、勉強したり話したり考えたりすることが必要なのだなと思った。

・社会的な話に触れて少し成長できたような気がする。

・今社会的に大変な状況になっているけど、今だからこそこんな風に話せることが大事だなと思った。いろんな情報があふれる中ですべてをうのみにしないで情報を精査することが大事だと思った。

・本当かどうかわからにものを自分のものにしないで、よく調べることが大事。いろんな説がある中で、最終的にどれを選ぶかは自分だから自分の見識を広げることが大事だと感じる。

・あまりこういう話を普段しないのでとても面白く話せた。

・何事にもそこに至る理由があるんだろうなと思うから、なぜそうなったんだろう?何が目的なんだろう?っていうのを知ろうとすることが大事だなと思った。